何から書いたらいいのか。。。
パソコンの前に座ったまま、考えも気持ちもまとまらない時間を過ごしています。
今、キーボードを打つ指にも、力が入りません。
でも、書かなければ。
まずは、4月1日に松子が我が家に来たときのこと。
咳が出て体調が悪そうだったので、酸素飽和度をはかりレントゲンを撮りました。
酸素飽和度は100パーセント。ほっ。。。
心肥大があり、要精密検査と言われました。
ただ、その日はいつも看ていただく院長先生がいない日だったので、次の日また病院へ行って院長先生とお話しました。
4月2日。
院長が、昨日のレントゲンで松子の心臓のサイズを測ってくださっていました。
そして、すでに投薬が必要なレベルに肥大してしまっていること、そのため気道を圧迫してしまっていることを告げられました。
まずは、心臓の詳しい検査をしたほうが良いことも。
4月5日。
心臓の詳しい検査をしました。
色々と画像など見せていだたきましたが。。。
まず、シニアによくある僧帽弁閉鎖不全症は軽度。
こちらは治療が必要ないレベルでした。
ですが、問題は左ではなく右でした。
右心房、右心室がかなり肥大していました。
通常、右と左は1対3くらいの大きさのはずが、右が肥大したことにより、ほぼ同じ大きさになっていました。
肺高血圧症というもので、三尖弁がかなり壊れており逆流も相当にある。
今後は、失神したり腹水が溜まるなどの症状が出る可能性がある。
というより、すでに症状が出ていてもおかしくないレベルであるとのことでした。
こちらは、すでに対処療法しか出来ないので、すでに飲んでいる抗生剤、気管支拡張剤に加えて利尿剤を飲むことになりました。
4月9日。
角膜炎の点眼薬がなくなったため、病院へ。
こちらは、病院へ行く前の動画です。
苦しそうですが、まだ、動けています。
うちに来てからは、ガン用フード(みらいのドッグフード)とコルディ、紅豆杉のサプリをあげていました。
こちらは、アルマへのご支援で購入させていただきました。
松子へのご支援、本当にありがとうございます<(_ _)>
それで、少しでもガンの進行が緩やかになればと思っていました。
余命1ヶ月から3か月なら、なんでもするから、半年はがんばってほしいと思っていました。
この日の病院では点眼薬を出してもらい、これからの点眼のために顔周りのカットもしてもらいました。
あとは、酸素飽和度。この日は98パーセントありました。
ここからは、昨日書いた通りです。
その中で撮った動画を共有させてください。
4月11日の夜。
もうガン用フードを食べず、とにかく食べて欲しくてトライプ缶です。
まだ回復することを信じていて、コルディも入れました。
でも、ほんの少ししか食べられず。
夜ごはんのあと、23時30分ごろ。
大きく息をして、辛そうです。
眠ることが出来ない様子だったので、酸素濃度を上げました。
次の日。4月12日。
まだなんとか立ってトイレが出来ました。
夕方。顔つきがしっかりしたタイミングがあり、玄関ポーチへ連れて行きました。
うんちがずっと出ていないのが、心配で。。
よたよたしていますが、まだ自分で大小トイレをしてくれました。
トイレのあとは、お尻も拭かず、おしっこで毛がびちゃびちゃのままの松子を抱え、即酸素室へ。
とにかく早く、酸素を吸って欲しかった。
夜、22時30分。
立ち上がるものの、足が動かせない様子。かなり苦しそうに見える。
23時05分ごろ、トイレへ連れて行くが立つことも出来ずトイレもしない。
ベッドに横たえると、眼振のような症状が出ていた。
13日になって、0時30分ごろ。
動こうとして、もう身体の自由が利かない様子。
何度か小窓から手を入れ身体を撫でるも、ビクッとしてしまうので諦める。
4月13日、病院へ行きすでに酸素飽和度90パーセントほどしかないと言われたあとの、帰宅後11時30分ごろ。
吐き気止めを入れてもらったので、吐くことはなくなった。
でも、前庭疾患と呼吸困難が続いていて、撫でることもストレスになるようなので、見ていることしか出来ない。
お水も飲めず、ごはんも食べられない。
でもまだ松子を、まだ諦められない。
その気持ちと、少しでも穏やかに、との気持ちがひたすらせめぎ合う。
矛盾を抱えたままの気持ちで、病院で生きながらえるための補液もしてもらった。
このときの私の判断は、あとから考えると間違えていました。
まだ、冷静に考えることは出来ないけど。。
理由は後述します。
ずっと苦しそうな松子。
17時15分ごろ。
身体が痙攣もしていて、ベッドから落ちてそのまま苦しそうにしていた。。
この日、松子の様子を見ながら、改めて肺腫瘍の最期ことを調べていた。
そして、安楽死のことも。
先ほど書いた間違いというのは、この日の朝の補液のこと。
私がこんなことをしなければ、こんなに苦しむ時間が長くなることもなく、もしかしてもうこの時間には旅立てたのかもしれない。
今の松子は、なにを望んでいるのか、それを考えたとき、
どう考えてもこの苦しみからの解放ではないか思いました。
それを、私が、長引かせたのかもしれない。。。
あっという間に肺の腫瘍で呼吸困難になってしまって、この先楽になれることはないと、この先酸素室から出て生活することも出来ないのだと、ちゃんと考えればわかったはずなのに、少しでも長く松子といたくて、まだ回復することを諦められなくて、朝、病院で、薬を注射し、補液をしてしまいました。
でも、もう、、、
松子にしてあげられることは、ひとつしかありませんでした。
松子の動画を持って、病院へ。
先生に、安楽死のご相談をさせていただきました。
そして、先生は、この状態なら、、、お受けします。と、言ってくださいました。。
病院の終わる時間に連れて来てくださいと言われ、夜19時すぎ。
酸素缶を吸わせながら、病院へ松子を連れて行きました。
先生は、松子に聴診器を当てて、『心臓はまだ大丈夫だね』と言いました。
私は、とっさに、それが、松子がまだ大丈夫なんだと勘違いしてしまって、『まだ出来ることがありますか?!』と、『出来ることは何でもします!毎日家で点滴すればいいですか?!』と、みっともなく、泣きながら、その言葉にすがってしまいました。
先生が、『この状態じゃ・・・前庭疾患は治るかもしれないけど、、、』と言ったので、すぐ、あぁ、もう、肺がダメだったのだと、我に返りました。
呼吸困難は、肺の腫瘍は、少しずつ溺れていくように苦しく、少しずつ首が閉まっていくように苦しく、それが、どのくらいの苦しみなのか一番わかるのは、近くにいる私なのだからと、私が、決断しました。
先生、お願いします、と、もう、声にならない声でお願いしました。
そして、奥でしますのでと、松子を連れていかれそうになり、私もそばにいたいと、最期のときを、一緒に見守りました。
それしか、もう出来ることがありませんでした。
もう、酸素を入れてもらっていても頭も上げられない松子に、モニターがついて、そして、先生が、麻酔を。。。
松子はそのまま、動けないまま、心臓が少しの間動いていて。
私は、やっとストレスを与えることなく松子を撫でさせてもらっていて、『松子、がんばったね、もうがんばらなくていいよ』と声をかけると、直後に息を引き取りました。
もう、苦しくないよって、それしか言えませんでした。
家に連れて帰って来て。
もう、感情がぐちゃぐちゃで、このあたりの記憶があまりないのですが。。。
松子を預かったとき、元飼い主への怒りを頭から消すことで精一杯でした。
マイナス感情を持ったまま松子やピアに接したくなかったので、忘れるように、努めました。
でももう、このときも、今も、悲しくて、悔しくて、頭がおかしくなりそうです。
なぜ松子がこんな目に合わなければいけなかったのか?
あと数か月早くレスキュー出来てたら、手術も出来て、まだ隣にいてくれたのだろうか?
松子の未来を奪ったのは、私なのだろうか。。。
今回、松子のためにと決断したことですが、本当に松子が望んでいたかなんて、一生わかりません。
松子、人間がごめんね。本当にごめんなさい。
でも、それでも、うちに来てくれてありがとう。
これからも、ずっと、ずっと、ずっと、愛してるからね。